適応障害と僕の生きる道

30代で「適応障害」と診断された僕の心と向き合うための生活日記。

心配して何か得られることはあるのだろうか?

僕はすごく心配性です。
特に今の病気患ってから、この心配性というのはさらに増した気がします。


でも、心配する事とはどういうことだろう?

 

準備を整える事と心配する事は全然違う。
未来に起きる「かもしれない可能性」を十分に心配することで何か解決することはあるのだろうか?

タチの悪いことにこの「かもしれない可能性」というのは悪く転がっていく方にイメージしてしまうことが多いです。


そもそも「かもしれない可能性」が実際に起きる可能性は自分が思っているよりも可能性が低いです。
明日の仕事の心配を前日からたくさんしていても、いざその日を迎えたら、意外となんとかなっているパターンがほとんど。


だとしたら、「もしかしたら悪いことが起きるかもしれない」と可能性を頭の中で繰り返して、なんの得があるのでしょうか?


頭の中の心配ごとは解決できるどころか、そもそもそれ事態が起きないのに「ダメだった時のイメージ」を頭の中で何度も繰り返して、目の前にある今を見失ってしまうことがある。

 

ならば、うまくいった時のイメージすればいい。
ありがたいことにイメージすることは誰でもタダでできる。

言葉で言うほど簡単なことではないのはわかっている。
だけれど、もし不安が頭によぎりそうになった時に、上手くいった時のイメージをできるように意識してみてもいいのかもしれない。

 

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