適応障害を患っている事が心療内科で診断されて良かった点と悪い点
「適応障害のせいだ」
心療内科でお医者さんに心の病気を診断された時から、自分の心になにか問題が起きた時にそう思う事が多くなりました。
実はこの言葉に少し悩まされています。
まるで天使と悪魔が耳元で言葉を囁くように、同じ言葉でもその時の場面で全く別の意味に変わってしまう。
「適応障害のせいなんだから、大丈夫!」
そうポジティブに心が運ばれることもあれば、
「適応障害のせいでこうなっちゃうんだ、、」
とネガティブな方に心が持っていかれてしまう事があります。
具体的な例を出せば、過呼吸気味になっていた時に、何が原因でそうなってしまうのかわからなかった時は見えない不安に襲われてしまう事も多かったです。
「自分の体はどうなっているんだ、、」
漫画やドラマのようなセリフだけれど、そんな言葉を呟いてしまった事もありました。
だけど、適応障害という正体が見えてからは「これは適応障害のせいだから、きっと症状が良くなれば治る」と少し心に余裕が持つ事ができるようになりました。
だけど、逆にネガティブな方向に心が向かってしまう時、、
例えば、何気なくスマホをいじっていた時に、妻にこう聞かれました。
妻「なんか怒っている?」
僕「そんな事ないよ。」
妻「でも、なんでそんなに眉間にしわ寄せているの?」
僕「だから、怒ってないって!」
はっきり言うと少し苛立ってしまった。
何気ない夫婦のありふれた会話なのかもしれないけれど、、今の僕にとって心の乱れは大きく、まるで壊れやすい人形のような感じにちょっとした事でも必要以上に落ち込んでしまいました。
「病気のせいで無意識の中でもそんな顔になってしまったのか、、」
「病気のせいでこんな何気ない事でも苛立ってしまうのか、、」
「腫れ物のように扱って欲しくないって思っているので、これじゃあ腫れ物じゃん。」
まるで迷宮に迷い込んでしまったかのように、思い悩んでしまいます。
これからこういった心のバランスと上手く付き合っていかなければいけなくなる。
今はお酒に逃げていてしまう事も多くて、お酒の量が増えているけれど、運動とかで発散できるようになれたら良いな。
そういえば、結婚する前はランニングをしていて、長距離走っているとネガティブな気持ちが発散されるどころか無になれていた。
今もそういった時間を作る必要があるのかな。
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